腹を立てぬ呪文 安岡正篤

今回は安岡正篤氏がこのような言葉を本に書いていたのかと疑いたくなるような言葉の紹介です。
でも、今回紹介する言葉の意味については安岡正篤氏があちこちで解説されていましたね。

では、珍しい安岡正篤氏が紹介されました言葉です。

腹を立てぬ呪文 「おんにこにこ はらたつまいぞや そはか」

ですが、安岡正篤氏が言いたいことは、

液体空気で冷却したガラス管の中に息を吹き込むと、息の中の揮発性物質が固まり、無色に近い液体になるらしいですね。

このとき、怒った人の息は数分後管の中に栗色のカスが残る。苦痛や悲哀の時のカスは灰色で、後悔している時は淡紅色になる。

怒ったときの栗色のカスをネズミに注射すると神経が過敏になり、激しい嫌悪を抱いた人の息ではネズミは数分で死んでしまう。

1時間人が嫌悪し続けると80人を殺せる毒素を出し、この毒素は従来の科学の知り得る限り最強の猛毒となる。

腹を立てるとは凄い毒素を身体から出すことになる。このことを知って欲しくて安岡正篤氏が「 おんにこにこ はらたつまいぞや そはか」を紹介したのでしょうね。

腹を立てて得をすることは全くありません。どのようなことがあってもニコニコして暮らしていきましょう。

多忙とは多くの心が亡ぶこと

最近は安岡正篤氏が好んで使った名言を紹介しているような気がしてなりません。今回紹介する言葉も安岡正篤氏は好んで使ったような気がする名言ですね。

また今回の安岡正篤氏の名言は、私が安岡正篤氏に接した初期段階で読ませて頂いたように記憶しております。

今回の安岡正篤氏の名言は

多忙 「ぬかりない生き方」を

です。「」という字は「心が亡ぶ」と書かれているのですよね。だから「多忙」は「多くの心が亡ぶ」という意味になってしまいます。

多忙が悪いことだとは思いませんが、多忙の方は心は別にしても身体にはぜひ気をつけてくださいね。

現実の社会生活は本当に忙しく出来ているようですよね。人間は忙しいと、その忙しいことに自己を取られ、自分を亡くし、どうしても、抜かりが多くなると安岡正篤氏は解説されています。

忙しくて身体を壊したり、ひどい場合には命を落としたりすることもあるようです。身体を壊すことも命を落とすこともないけれど、何かを失うことがあったりする話を聞いたことがあります。

男性が仕事ばかりをして、たまの休日には接待ゴルフと、家庭サービスがまったく出来なかった時代もあったのですよね。そんなときには、子供から父親は見捨てられいたことを知っていたでしょうかね。

奥さんからも見捨てられていたことを知っていたでしょかね。不景気な時代ですから、接待ゴルフもきっと少なくなっているでしょうから、家庭サービスにもっと力を入れて、多忙を理由にしないようにしましょう。

無心の力で「一灯照隅 万灯照国」

今回の安岡正篤氏の名言は、安岡正篤氏が好んだ老荘思想に近いのではないかと思っていますが、あなたの感想はいかがでしょうか。

身を挺す 「無心」の力

まずは、当然のことですが我々は怠けていてはいけない。といって、いろいろ邪念・妄想を持ってもいけないと安岡正篤氏は語っています。

どうも私には邪念や妄想が非常に多いかもしれません。私個人は夢や希望であり、目標でもあると思っていますが、安岡正篤氏に言わせると邪念や妄想そのものだと怒られてしまいそうな気がしてきますね。

身を挺して無心にとにかく働いていると、自分がいかに無力であっても、ひとつの灯がいかにほのかであっても、千灯万灯ともなればそれこそ輝く大いなる光になるのであると語っています。

一灯照隅 万灯照国

という言葉に行き着くのでしょうか。我が家は6人家族です。全員が隅を照らせば、部屋全体が明るくなることは間違いないですよね。

私の一灯が家族の5人を照らし、5人がまたお互いを照らしあうことが家庭の中でできたとしたら凄いでしょうね。外に出かけた際に、行く先々で隅を照らすことをしてくるような行動をしてくればキット素晴らしいものとなることでしょうね。

しかし、それらは全て無心で行わなければならないのでしょうね。いつの日か万灯照国となることを期待して一灯の力を無心でやってみますね。

「事に敏」は本質を見抜く方法

安岡正篤氏の格言名言を拾い集めて、安岡正篤氏の人間学を少しでも学んでみようと思って作ったブログです。

安岡正篤氏は非常にスケール大きい人物で、われわれの物差しでは決して計ることのできないスケールだったとある書物に書かれていました。大袈裟にいえば、日本のどの武将よりもさらに大きなスケールの人物で、織田信長豊臣秀吉徳川家康を足したほどの人物ではなかったでしょうか。

とろこで、中国には明という国を創った人物がいます。名前を朱元璋といいますが、安岡正篤氏はこの朱元璋に匹敵するほどの人物ではなかったかと私が勝手に想像しています。興味のある方はぜひ朱元璋を調べてみてください。

前置きが長くなりましたが、今回の安岡正篤氏の言葉を紹介します。

事に敏(ことにびん) 本質を見抜く

この言葉は、感情を美しくし、理想・情熱に燃えるようであれば、頭は使えば使うほどよくなるという意味らしいです。しかし、私にはこの言葉もこの言葉の解説もいまいち理解に苦しんでいます。

「我々の心がけで頭脳を働かせることを「事に敏」という」のですから、私が考えていた「事に敏」とは意味が全く違っているのですよね。

「物事に真剣に頭を働かせていれると、だんだん本当のことが分かってくる」と安岡正篤氏は続けて語っていますが、なおさら分からなくなってきました。

ただ、感情を美しくし、理想・情熱に燃え、真剣に頭を使っていると、本当のことが分かってくるというのですから、それなりには理解できそうです。

お金儲けをしたいというのは、美しい感情でなくなっているので、いくら理想・情熱に燃えても本当のことが分かって来ないのでしょうかね。

老婆心とは、「思いやる」という心

安岡正篤氏の人間学に関する名言を紹介しております。今回も安岡正篤氏の人間学の名言を紹介させていただきます。

老婆心 うるさがられるほど「思いやる」

老婆心という言葉を聴くと、あまり良い意味には感じていないのではないでしょうか。しかし安岡正篤氏は才智・技能に勝る、それだけでは人間としては失格であるといつも語っています。人間から徳が無くなれば人間として失格であるとも語っていたことがあるように記憶しております。

人の対して真心を尽くす、うるさがられるほど思いやることが大切で、老婆心は人に対してだけでなく、学問の場合でも、これくらいにしておこうというのが一番いけないとも語っていましたね。

やりすぎるほどやる、とことんやってみることが自分を磨き、人間として成長への一歩を歩み始めることができるのではないでしょうか。

安岡正篤氏はよく、才と徳という言葉を使って人間学を語っていましたが、才よりも徳の方が優れている人が君子であると言っていますね。もちろんスケールの小さい君子もいれば、本当に立派な君子まで、さまざまな君子がいるのですよね。

これでもまだ足りないと、つまり老婆心がなければ進歩はないのであるとこの格言の締めくくりをしています。

人格の第一次的要素 気骨

安岡正篤氏の言葉いや名言を紹介させて頂いております。このブログに記事を書くことによって自分自身が成長していける思っています。

人に伝えることで、自分に返ってくるのですよね。今回も安岡正篤氏の言葉・名言を紹介させていただきまして、私自身の勉強にさせていただけることに感謝しております。

今回の安岡正篤氏の言葉・名言は

気骨 「骨力」は人間の根本

骨に気を載せると気骨という言葉になりますね。気骨のない人はどうにもならないと安岡正篤氏が語っていました。

気骨のない人間は、機械的なことは出来るが、責任を持ってやらなければならないような、非常の時には役に立たないとも意っています。

人間の値打ちが一番分かるのは、困難なことに出会ったときでしょうね。困難に出会ったときにうなだれるような人間には助けが必要です。反対に困難に出会って真正面から向き合う人は自力で立ち上がるでしょうね。

骨力とか気骨は人間の根本要素で、人格第一次的要素なのです。頭が良いとか、お金儲けが上手いとか物知りであるなどというのは人格の第二次的要素でしょうね。

気骨や骨力を養うにはどのようにすれば良いかが問題になってくるでしょうね。結局は学問と行動からでしか得ることはできないでしょうね。

歴史的に評価されているような良い書物を味わいながら読み、困難に立ち向かっていく行動をすることしか方法はないようです。もちろん、一方だけではダメです。学問と行動が一致して初めて気骨や骨力ができてくるのですから。

自力を養うことの大切さ

安岡正篤氏は「自力を養う」ことを非常に大切された方だと思っています。人間はどんなことが起こっても、自由自在に対応できる適応力を不断から養い、身に付けることが大切だと語っていたような気がします。

自然の力 「自力」を養う

安岡正篤氏は絶えず「自力」をつけて、物事に動じない心が必要だとも語っていました。

自處超然(ちょうぜん)
處人藹然(あいぜん)
有事斬然(ざんぜん)
無事澄然(ちょうぜん)
得意澹然(たんぜん)
失意泰然(たいぜん)


六然に通じるのではないでしょうか。薬の力とか、医者の力とか、他物に依存していては段々と「自力」が弱くなり、自然の体力生命力が弱くなってくると警告しているのですね。どんな代用品であっても自然の生命力に勝るものはないということでしょうね。

私は小林正観さんの講演会に参加させていただいて、一つだけ実行していることがあります。それは、水などを飲むときに心を込めて祈るです。それも現在形の言葉で祈るです。

身体のどこかに調子が良くない箇所があったときに、水などを飲みながら「身体の調子を良くしてくれてありがとう」とつぶやきながら飲むのです。すると治る病気もあるようです。

病気とは気が病むのですから、気が良くなれば病気が回復すると小林正観さんだけでなく、安岡正篤氏にも教えられたことがあったような気がしたので実行しているのです。

別に特別な修行が必要なわけでもなく、お金もかからないので、一生懸命にやっていますよ。

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