人格的定年の麻痺沈滞

つまらない人間になることを戒めている安岡正篤の言葉を紹介します。

麻痺沈滞(まひちんたい) 人格的定年

人格に定年があるという考えを持ったことは一度もありませんでした。人格とは一度出来上がると下がることはないように思っていたからです。

安岡正篤にいわせると、職業に就いた、生活が安定してきた、これから何かエキスパートになって早く楽がしたい、というようなことを考えていると、非常に早く人間が限定されてしまうと言っています。

誰でも楽をしたいと考えているのではないでしょうか。楽に仕事をしたい、楽な生活をしたいと思うのは普通ではないでしょうか。実はこの考えが間違っているのですね。

人間は限定されると、それだけ麻痺沈滞してきて、つまらない人間になり、早く人格的定年に達してしまうと安岡正篤は語っています。

楽ではなく「楽しい」を追い求めればよいのでしょかね。楽しい仕事をしよう、楽しい生活をしようというふうに考えればいいのではないでしょか。

楽をするというのは自分一人が楽しむためのものです。しかし、楽しいというのは相手にも楽しんでもらって始めて出来ることなのでしょうね。

楽しく仕事をするには、周りの人にも喜んでもらい、取引先にも喜んでもらう必要が出てきます。他人に喜んでもらうには人格的な面でも向上心が必要になってくるような気がします。
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生活に変化をつける 楽な道を選ばず

安岡正篤名言を紹介しています。昭和の教祖と呼ばれた安岡正篤は多くの人に感銘を与え続けた人と言えるのではないでしょうか。

そんな安岡正篤の今回の名言です。

生活に変化をつける 楽なコースは選ばず

安岡正篤にしては非常に簡単な言葉ですね。安岡正篤をよく知っている人であれば、この言葉の奥に隠されている意味を理解されるでしょうが、残念ながら私にはそれだけの能力がありませんので、当たり前の説明をしてみます。

あまり楽なコースを真っ直ぐに通っていると、人間の精神が麻痺し惰性的になり、眠い人間になって、ダメになったしまう。

人間には自分を磨くと言う行為をしなければならない。磨かれていない人間には魅力が全くないのだから。人間として教養を考え、自分の生活に変化をつけないとダメになってしまうのだ。

しかし、人間は楽な方につい歩み始めてしまうものですね。特に現代では何をやっても人の真似である程度のことが出来てしまうのですからね。

真似であっても、全てを真似るのではなく、自分なりにアレンジをすればいいのですが、全くの猿真似をする人が多いことにチャンスがあるのかも知れませんね。

自分なりに魅力が磨かれるように、楽な道ばかりを選ばす、相手が喜ぶような道や方法を探し出して、あなたの魅力を磨きましょう。
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晩節を誤らない心の作法

安岡正篤氏の名言を紹介させていただいております。この記事に限らず、このブログ全ては自分のために書いているようなものです。

安岡正篤氏に関する言葉を記事にすることは、心が洗われるような気分になるからです。今回の安岡正篤氏の名言は

晩節 身を誤らない「心の作法」

晩節を誤らないためには、若いときから準備をしておかなければ、晩節を汚してしまうことになってしまいます。マスコミの報道を見ていますと、晩節を汚す政治家がいかに多いかを感じてなりません。

政治家になるということは、それなりに政治家になる資格を備えていたのですよね投票で他の候補者よりも多くの票を集めることが出来たことには間違いないのです。

しかし、政治家になったとたん、政治屋になってしまってう人が多いのですね。特にお金の問題で晩節を汚す人が多いのには寂しい気持ちになってしまいます。

仕事も出来、地位も上がるに従って、人間はますます欲が出れば、誇りも生じ、執着も強くなる。また、その反対に後進を軽視し、不満が多くなり、また先輩をしのぐ態度や行動に出がちになる。これは叛逆にも通じるのである。

と安岡正篤氏が解説されています。晩節を誤らないためには、人間学を学ばなければならないでしょうね。人間が、人格ができていれば晩節を汚すことなく過ごすことが出来るはずです。
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熱烈な理想を持って一貫性を

安岡正篤氏の名言を集めて記事にさせていただいておりますが、安岡正篤氏の本って本当にたくさんありますよね。でも直接安岡正篤氏が書かれた本は半分以下では。あとの半分は安岡正篤氏の講演を本にしたものですね。

さて今回の安岡正篤氏の名言です。

志気 一貫性をもって乱れず

安岡正篤氏によると、志気気力とは、熱烈理想をもって事にあたるとうことであると解説されています。

熱烈な理想を持てる人はきっと幸福でしょうね。夢や理想を持ってはいるつもりですが、熱烈かどうか聞かれると不安になる程度の夢や理想です。

安岡正篤氏はさらに続けて、「人間は、常に志を持ち、理想を持ち、そして常に生活を創造していく。それには一貫性をもって、いかなる障害があっても乱れない締めくくりを持つことが大切である。」と言っています。

私も自分の夢や理想が熱烈なものとなって、一貫性を持ち、いかなる障害があっても乱れることなく突き進んで行きます。

この記事を読んでいただいているあなたも安岡正篤氏の「志気」の言葉を胸に刻んで、日々の生活を創造していってくらださい。心から祈っております。
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安岡正篤の常に戒めるべき4ケ条

安岡正篤氏の名言を探して紹介しております。今日は「四不」という常に戒めるべき4ケ条です。安岡正篤氏の4ケ条をぜひ覚えて日常生活で活用してください。

1、不激(げきせず)大事をなさんとする者は興奮してはいけない。
2、不躁(さわがず)ばたばたしないこと。
3、不競(きそわず)つまらぬ人間と競争してはいけない。
4、不隋(したがわず)人のあとからのろのろとついて行くのは最もいけない。


以上の4つの戒めを言われています。私には全てが当てはまっているようですよ。

よく怒りますね。特に愛妻につまらぬことで怒ったりしています。愛妻が私を一番良く見ているのですから、核心をついた注意をしてくれるのです。しかし、それが、私の胸に突き刺さるような気分になってつい怒ってしまうのです。

ばたばたもしていますね。毎日の生活がばたばたそのものです。もっと落ち着いて仕事に家庭生活に取り組む必要がありますね。計画性の不足でしょうか。

3番目もよく失敗しています。友達と飲みに行って本当につまらないことで言い争いをするのですね。自己主張がお互いに強すぎるのでしょうが、言い争ったからといって何の利益もないのに。

4番目も同様に、人のやったことをトレースするかのような毎日ですね。何一つ「四不」はありません。でもどれか一つを選んで実行してみます。まずは「不激」から始めたいと思っています。

なぜなら毎日愛妻にチェックしてもらえるからです。
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多逢聖因(たほうしょういん)

安岡正篤氏の名言ですが、今回は仏教から出てきたようなイメージをつい持ってしまいました。

多逢聖因(たほうしょういん)

です。これは「いいもの」にたくさん出会うことに努力する必要があるということを言っているらしいですね。

安岡正篤氏の解説をお借りしますと

人間はできるだけいい機会、いい場所、いい書物に会うことを考えなければならない。これを多逢聖因(たほうしょういん)という。

になっていました。実際に、世界的に有名な絵の実物に出会うのと、画集で見るのとでは全く違っていますよね。どこが違うのかといえが、実物の絵の色と画集の色が若干違っているとか、画集で見るサイズと本物のサイズの違いから迫力が違うとか、画集には厚さがないが本物には絵の具の厚さがあるなどの違いがあるのは誰でも分かることでしょう。

しかし、画集の絵と実物では温もりが違うのです。さらに作家の息遣いが聞こえるかのような音が実物の絵から漂ってくるのです。この差は大きいですよ。

音楽でもCDで聴くのと、生演奏を聴くのとでは迫力が全く違って感じませんか。これと同じです。地理的や経済的な問題で本物に逢うことが難しい場合がありますが。出来るだけいいものに出逢う努力をしましょう。

究極的にはあなたは、本物の人間となって多くの人との出会いの機会を作ってあげてください。
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機 勘所を活かす

人間学を語る安岡正篤氏の名言を紹介していますが、本当に奥が深いですね。

今回の安岡正篤氏の名言は

機 「勘所(かんどころ)を活かす」

です。安岡正篤氏は非常に簡単に説明されていますが、機は

機を見る
機に因りて法を説け
機は得難くして失い易し


のような使われ方をしていますね。機とは漢方でいえば「つぼ」とか「勘所」をいうらしいですね。そこをはずすと物事は生きてこないという一点をいうのですね。

機に気づき、生活にこの機を活かしてとらえることが、生の飛躍につながるのだと、安岡正篤氏は語っていますね。しかし、実際に機を正しくとらえて、活かせる人がどの程度いるのでしょうか。

わたしの場合はほとんど機に気づくことなく生きているような気になっています。つねにアンテナを張り巡らして、機に敏なる人間となれるように努力したいですね。

しかし、安岡正篤氏の名言は本当に短いですよね。「機」一言であって、勘所を活かすとだけ解説されている訳ですから、凡人は安岡正篤氏の著書を読んでいても、つい機に気づかずに読み飛ばしてしまいそうな感じがしますね。
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自分自身について究め尽くす

陽明学者と言われた安岡正篤氏ですが、安岡正篤氏は特定の学問にとらわられることはなかったように感じています。

中国思想、日本の神道西洋哲学などに深い造詣を持っていましたね。そんな安岡正篤氏の人間学の真髄とも思えるような言葉がありましたので、紹介させていただきます。

他人にない能力 自分を究尽(きゅうじん)する

安岡正篤氏の言葉を読んでいると、漢字の勉強がとてもできましたね。この究尽(きゅうじん)という言葉も初めて知りました。

それはさておき、「万物の霊長である人間は、人として生まれた以上、本当に自分の力を究尽(はっきりくまなく知る)し、修練すれば、何十億人も人間がいようが人相がみな違っているように、他人にない性質と能力をもってくるいるものだ。」と書かれていました。

究尽とは単に自分を知るという程度のものではなく、究め尽くすほど自分を見つめて、修練しなければならないのでしょうね。

修練の場としては、決して特殊な場を求めるのではなく、日々の仕事や家庭生活の中で修練しながら、究尽していくことでしょうね。

商いをしている私にとっては、お客さんに喜んでもらえる能力をどんどん身に付ける必要があります。そのために究尽して、何でおきゃくさんの喜んでもらうかを考え、そして実行しなければならないでしょうね。


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感動が全ての生み親

安岡正篤氏の人間学ブログ作成によって勉強させてもらっています。今日の安岡正篤氏の人間学の名言は

感動 進歩・成長の「生み親」

という言葉です。感動のない人生って本当につまらないですよね。できれば感動を与えるような人間になりたいと考えているほどです。

安岡正篤氏に言わせると

人間には感動が一番尊いことで
無感動な人間ほどつまらないものはない


と言い切っています。感動することから物事が始まり、感動を与えたり、与えられたりしながら成長していくのでしょうね。

感動とは字の通りに心が動くことですよね。日常の些細な行動においても、心が動くから身体が動くのが最高でしょうね。

感動がなく、イヤイヤに仕事をしているようでは結果は決して良いものではなくなってくるでしょう。人間の進歩は、ひたすら物事に向き合って、インスピレーションや感動から始まるのでしょうね。

歴史上の偉大な行動偉大な発明・発見も、さらには悟りも、みんな感動がなければ行われることはなかったことでしょうね。

安岡正篤氏の非常に簡単な言葉の中に奥深い意味が隠されていたことが分かっただけでも、今日は嬉しい日になりました。

このブログも自分自身が感動し、読んでいただいた方に感動が与えられることがあれば幸いです
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心に太陽 それが理想精神

安岡正篤氏の人間学を紹介しています。今日の安岡正篤氏の名言は非常に簡単な言葉です。でも、奥にある意味は相当深いし重いものがあるでしょうね。

心に太陽

です。安岡正篤氏はこのような言葉を話したとは信じられないよな気分ですね。心に太陽とは人間の理想精神だそうです。

太陽の光を浴びなければ物は育たないのですよね。植物に限らず動物も太陽の光を浴びて成長しているのです。同じように、人間の理想精神というのは「心の太陽」であると語っているのです。

このようになってくると理解に苦しむ私です。心に太陽をというだけであれば感覚的に理解できるのですが、人間の理想精神とは一体何なのか想像もできませんし、理解もできません。

安岡正篤氏はさらに説明を続けて、
理想に向かい精神を湧かす。
それは、日に向かう、太陽を仰ぐと言うことだ。

と結んでいます。

「理想に向かい精神を湧かす」は理解できそうです。でも「日に向かう、太陽を仰ぐことだ。」については首をかしげてしまいそうになりますね。

いづれにしても安岡正篤氏が言いたいことは、太陽を仰ぐような理想を持って情熱を湧かし、日々研鑽することを意味しているのでしょうね。
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俄か造りは必ず駄目に

今回の安岡正篤氏の名言は非常に分かりやすいものです。この言葉は安岡正篤氏以外の人もたくさん書かれたり語られたりしていますので、ぜひ覚えて実行してください。

根気よく続ける
俄か造りは必ず駄目に


安岡正篤氏からこの言葉を聴かされると、改めて気持ちを引き締めてしまいますね。たとえでもでも、それはそれなりに味が出てくると説明されています。

私は全くの愚であり、半分思い付きで物事を始めてしまうような拙でもあります。このときの私の課題は根気よく続けることができずに、直ぐに成果を得ようとあせることですね。

種を植えれば、芽が出て、育ち、花が咲かなければ実がならないのに、種を植えるとすぐに実を欲しがっているのですね。

だから、本当に愚で拙だと考えてもいるのです。でも、今回の安岡正篤氏の名言を肝に銘じて愚でも拙でも根気よく続けます。

花が咲かないうちから実を求めるようなことは慎みます。安岡正篤氏はこの名言の最後に、「俄か造りはどんなに器用に見えても、必ず駄目になるものだ。」と書いていますが、俄か造りが非常に多いですよね。

早く結果を得ようと最初から考えている場合が多いので、失敗が多く、成功へと根気よく続けられないのでしょうね。
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安岡正篤の成功の秘訣とは

安岡正篤氏が成功について名言を書かれています。安岡正篤氏が成功について語ることは少ないので非常に貴重な名言ではないかと思ってしまいますね。

まず最初に安岡正篤氏の成功についての名言を紹介しますね。

成功の秘訣
自分のことは自分で


少しがっかりされた方もいるのではないでしょうか。しかし、安岡正篤氏ほどの人が「成功の秘訣は、自分のことは自分でやるのだよ。」と当たり前のことを言うにはそれなりの理由があったのだと私が勝手に深く考えてしまいますね。

安岡正篤氏によると、どんなに煩わしいことであっても、すべて自分のことは自分でやらなければならないらしいですよ。

食事の支度、洗濯、洗濯物の片付け、部屋の掃除などなど私には自分でやっていないことの方が家庭で非常に多いですね。でも、愛妻の仕事を取り上げて、自分の仕事が疎かになるようではいけないと思っています。だから、今後も食事の支度、洗濯、洗濯物の片付け、部屋の掃除などなどは愛妻にお任せするつもりです。

ではいったい安岡正篤氏が言うところの「成功の秘訣は、自分のことは自分でやるのだよ。」の意味はなになのでしょうか。

安岡正篤氏に言わせると、煩わしいことであっても、順序良くやると、意外と苦労が少なく成功するものだと、続けて書かれている部分がありました。

それでも私にはよく理解できない安岡正篤氏の名言でした。
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仙薬は我が心に

安岡正篤氏の名言の中には、名言のみを読んでも理解できないものが多くあります。今回の安岡正篤氏の名言も同様です。

仙薬は我が心に

です。安岡正篤氏の名言ですが、コレだけを読んでもカッコウいいなと思うだけで終わってしまいそうですね。安岡正篤氏の名言には大きなそして深い意味が隠されているのですね。

安岡正篤氏の解説によりますと、人間の脳は老いることがなく、一生涯進歩続ける。しかし、そのためには養分を与えなければならない。脳の養分とは正しい生活と道徳です。だから仙薬は自分の心にあることに気づく必要がある。

との安岡正篤氏の解説です。このままでは「安岡正篤氏の解説」の解説が必要になってくる私です。

脳は生涯進歩し続け老いることはないのだるから、常に脳を鍛えることが出来る。物忘れは自己怠慢に過ぎない、記憶が悪くなると思っているのは記憶する意欲が減っているのでしょうかね。

年齢を重ねるにつれて、脳では物を覚えることよりも、考える力を使うことが多くなってくるはずです。蓄積された知識や知恵を使って正しい判断力決断力そして行動力を発揮するケースが増えてくるはずです。

そのためには正しい生活と道徳が必要だと安岡正篤氏が言っているのではないかと解釈しております。私の安岡正篤氏の解釈が間違っていた場合にはお許しください。

でも

仙薬は我が心に

は素敵な言葉だと思いますね。病気の仙薬も心にあるのですよね。
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没頭し精進を重ねる歳を取らない

安岡正篤氏の名言を借りてブログの記事を書いていますと、自分の心が洗われますし、勉強になっています。

安岡正篤氏の名言を読まれて、安岡正篤氏の人柄を伝えることが出来るようになれば最高です。今日は安岡正篤氏の名言の中から「歳を取らない生き方」についてです。

没頭・精進

です。たった2つの言葉で少しがっかりされた人もいるのではないかと思いますが、結局は没頭できるものを持ち、その没頭できるものについて精進を重ねることが一番歳を取らない方法なのでしょうね。

お坊さんには結構高齢でありながら、現役で仕事をされている方がいますよね。確か清水寺の貫主さんには100歳でもその地位にあり続けたと思っています。

よく定年退職をされると老け込む人がいますよね。明らかに没頭できるものがなくなった結果ではないでしょうか。学校の先生の中にも定年までは元気で仕事をしていたのに、定年退職後すぐに亡くなっている人が私の身近にもおりますね。

没頭できるものや精進できるものがすぐに見つからない場合が多々ありますので、日頃から好奇心を逞しくして、没頭できるものを常に探すように心がけてください。

しかし、残念なことにこの名言を書かれた安岡正篤氏本人が晩年は認知症にななれたと聞いています。安岡正篤氏のような人物でも認知症になってしまうのでうから、凡人はなおさら「没頭・精進」に頑張ってください。
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思考の三原則で夢の実現へ

安岡正篤氏の著書に良く出てくる名言を紹介します。

思考の三原則
 第一原則 目先にとらわれず、できるだけ長い目で見る。
 第二原則 一面だけ見ないで、なるべく多面的、できれば全面的に観察する。
 第三原則 枝葉末節に走らないで、根本を見る


この思考の三原則は本当に安岡正篤氏の著書のあちこちに書かれていますので、安岡正篤氏が大切にしていたものではなかと勝手に思っています。

ほんの少しやっただけで成果がでないと思ってしまう自分を反省しています。物事の一面を見たり、人物の一面だけを観察していつも判断してしまう自分を嘆いています。枝葉末節しか考えない自分を心が貧しいと悩んでいます。

生きていく上で一番の悩みにお金の問題があるかと思います。安岡正篤氏はあまりお金については書かれていませんが、お金についても思考の三原則をあてはめて観察しなければならあにのでしょうね。

日々の活動の小さな積み重ねでしか、結局はお金を稼ぐことができないのですよね。一攫千金を狙ったり、棚からボタモチ式で大金が手に入ることを望んでいても何も生まれてこないのでしょうね。

これからのお金稼ぎというのか、仕事への取り組み方を思考の三原則に照らして、腰を据えてコツコツではなく、バリバリやドンドンとやっていきます。

きっと数ケ月後には私の理想が実現に近づき、日々の積み重ねで成功と言う頂点に立つことができると信じています。
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