目挑心招 目は心の鏡

安岡正篤名言格言を紹介していますが、今回の安岡正篤の名言は初めて耳にしました。私なりに安岡正篤の本は読んでいたつもりですがね。

今回の安岡正篤の名言はこちらです。

目挑心招(めいどむ こころまねく)
 目で事を成す人


人間の内実を最もよく表すものが目だそうですね。その目に関する言葉で「目成」という言葉があるそうです。

弁舌など弄さずに、目で事を成すものだそうです。「目挑心招」(目でいどむ、心でまねく)とは素敵な言葉ですね。

目に関することわざを調べてみました。

目は口ほどに物を言う
二階から目薬
鬼の目にも涙
目の上のたんこぶ
目から火が出る
目の薬
目の保養
人の気持ちは目に見えないものだから、信じるしかない
白い目
目に見えないもの
大儲けは時代の変わり目にあり
目は言葉を話し、目は言葉を理解できる。
女は目の天国、財布の煉獄(れんごく)、魂の地獄。
成功は、人間の目に神のごとく映る。
恋は全身が目であるが何も見えない。
智は目の如し、百歩の外を見て睫(まつげ)を見る能(あた)わず
危険は勇者の目には太陽のごとく光り輝く。
男は目で恋をし、女は耳で恋に落ちる。
右の目は熱く、左の目は冷たく、心には氷の炎を持て。
妻は目ではなく耳で選べ。
片目が見る、もう片方の目は感じる
目はおのれを信用し、耳は他人を信用する。
目は心の鏡。

意外と目に関する格言やことわざがあるものですね。ほとんどの格言やことわざで目を悪くは言っていないことに気づきました。

安岡正篤氏の六中観

安岡正篤氏がよく書かれていた言葉に六中観という言葉があります。この六中観は人がよりどころとすべき内容が含まれているようで、何回読ませていただいても新しい発見のある言葉です。

安岡正篤氏が考え思った六中観の内容と、私が考え思った六中観の内容とは大きく違うかも知れませんが、私なりの解釈をしてみました。

死中、活有り。
苦中、楽有り。
忙中、閑有り。 
壺中、天有り。
意中、人有り。
腹中、書有り。
 

以上が六中観です。「死」「苦」「忙」「壷」「意」「腹」の中にあるのも、あるいは持っていなければならにものを、安岡正篤氏が人生の達人になる生き方をするために、多くの著書や講演で書かれたり話されたものだと解釈しております。

死中、活有り。
この言葉が有名なので説明は必要ないでしょうが、結局は身を捨ててこそ浮かぶ瀬があるというものでしょうね。

苦中、楽有り。
この言葉も良く使われる言葉ですから、お分かりのことと思います。苦しいときにこそ楽しさを見つけ出すことの大切さですね。楽(らく)ではありませんよ。

忙中、閑有り。 
この言葉もよく耳にされた思います。忙しいとは心が滅ぶと書きます。忙しいときにこそ、冷静になって心に余裕がなければならにということですね。心に余裕がないと、周りの人々に迷惑をかけることが多々ありますからね。

壺中、天有り。
この言葉はあまり使われることがないと思います。どんな境遇にあっても、必ず自分の世界を作らなければならないということです。壷の中にいても天だけはいつでも見ることが出来るという意味で、周りが見えなくても、天を仰いでいればおのずから道が開けるのです。

意中、人有り。
これもあまり多くは使われないと思います。心の中に尊敬するべき人を持てという意味ですね。尊敬する人が生きている人であれ、歴史上の人物であれ、目標にもなり尊敬の出来る人を持たなければならない。

腹中、書有り。
書物を読んで頭に入れるのではなく、行動できる学問を身に付ける必要があるということですね。学問は単に知識や教養を身に付けるだけでなく、心が磨かれるものとならなければならないのでしょうね。 

肝心要と腰抜けは科学的言葉

安岡正篤氏の言葉いや名言を紹介しております。今日は格言科学的な言葉という安岡正篤氏には珍しい内容のお話です。

肝心要 と 腰抜け

安岡正篤氏の解説によりますと、人間の肉体で最も大事なところは腰だそうです。肝臓や腎臓といった内臓諸器官が集まって人体を構成している。だから肝心要(かんじんこし)というらしいですね。

腰はいつの間にか要に変わってしまっていますが、この要が外れることを腰抜けというとのことです。これは科学的な言葉らしいです。

人間の身体で腰が大切であることはよく理解できますが、人生や仕事さらには日常生活での肝心要を見つけることが出来れば、人生の歩み方が大きく違ってくるような気がしています。

私の勝手な意見ですが、人生あらゆる事柄や事象において最も大切なことは「感謝」ではないでしょうか。「ありがとう」「お世話になります」などが言葉として表現されていますね。この「感謝」といのは、何か自分に利益のあることや、嬉しいことがあった場合には「感謝」しますよね。

でも、極端なことを言えば悪いことが起きても「感謝」するべきでしょうね。もし悪いことが起きても、もっと悪いことが起きなくてよかったと「感謝」するのです。

人生や仕事や日常生活で感謝をしていれば、おおよその問題は解決できるのではないかと思ってしまいます。仮に夫婦喧嘩をしそうになっても、愛妻がいることに感謝する、喧嘩をする相手がいることに感謝できれば、自然と夫婦喧嘩をする必要がなくなってくるのですよね。

同じことが人生や仕事でも言えるのではないでしょうか。腰抜けにならないように感謝の気持ちを持って生きて行きたいものです。

私が話をすると科学的ではなくなってしまいました。(汗)

夢中になるものを持て

安岡正篤氏は名言をたくさん残されていますが、今日の言葉も本当に名言ですね。

夢中になる。感激に溢れた人生

です。人間は夢中になるものを持たなければならないと言っています。私の場合は本当に心から夢中になれるものを持っていないように感じられてなりません。

何かをほんの少しだけ頑張ってやったら、直ぐに疲れてきていますね。夢中になっていないのですよね。人間は夢中になって他を顧みる暇がないほどに集中して没頭するものを持っていると、はじめて感激が生まれると安岡正篤氏は言っています。

そして、夢中になるものの意義が高いものほど尊くなるそうですね。意義の高いものとは、結局は人のために役立つことなのでしょうかね。

私は商売をしおていますが、夢中になって商売をやってはいないようです。今日からは夢中になって商売に取り組み、そして少しでも人の役に立つことを考えて、自分自身が感激できるようになりたいものです。

安岡正篤氏の言葉を借りれば、「感激があると、全て物を成すことができる」とも書かれていました。感激ができるように、夢中になって取り組むことの大切さを知らされた安岡正篤氏の名言でした。

寸陰を惜しむ

安岡正篤氏ほどの人物はおそらく100年に1度ではないかと言われていますよね。現在も安岡正篤氏に匹敵するような人物はいるのでしょうかね。よく、安岡正篤氏は中村天風氏と同じようなレベルで扱われている場合が多いですが、この2人には弟子と呼ばれるような人はいなかったのでしょうかね。

安岡正篤氏は弟子を持たず、死後は安岡正篤氏に関する会などは全て解散されたとの噂を聞いております。ただし、埼玉県嵐山町記念館が残っています。一度は訪れてみたいものです。

今回は、安岡正篤氏の格言の解説です。

寸陰を惜しむ

です。これは陶淵明の雑詩其五に書かれていたもので詩全体の意味は

若いときは夢や理想を持って日々をすごしていたが、歳月を重ねるにつれて夢や理想が失われていった。時には昔の夢や理想を思い出すこともあるが、体力も気力も衰えて老いていくだけだ。

残された時間はあと少しなのに、まだ迷ったり悩んだりしている。昔の人は寸陰を惜しんで夢や理想を実現させたのに、自分はどうなってしまったのであろうか。

と嘆いているものです。この「寸陰を惜しむ」について安岡正篤氏は

「ちょっとした時間を活用してやっていると、その寸陰が長い時間と同じか、あるいはそれ以上の値打ちが生じてくるものだ。」

と解説しています。どちらかといえば寸陰を惜しんでつまらないことを考えたり、ちょっと疲れると休憩したくなる自分を反省してしまいます。

自分の夢や理想に向かって、今日からは寸陰を惜しんで行動します。

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