朝こそすべて 安岡正篤

安岡正篤名言を紹介しています。今回は日々の生活に関する安岡正篤の名言です。

朝こそすべて 心が澄み、頭が冴える

暁は「あきらか」という字で「さとる」という字でもある。夜の暗闇が白々と明け、物のあやめ・けじめが見えてくる。さわやかな中に、心が澄み、頭が冴え、物の姿が明らかになってくる。それだけ物事がわかる。

と、安岡正篤は解説しています。早起きの重要性は昔から良く言われていますよね。「早起きは三文の得」ですね。でも、口の悪い人は高齢になると自然に早起きになるが、高齢者が悟ったり、お金を沢山稼ぐようになったという話を聞いたことがないと言います。

実は早く起きたからと言って特別なことはないと私も思いますよ。問題は早起きをして、頭の冴えている時間に何をするかということが大切なのでしょうね。

難しい勉強をするのに朝早くが良いのでしょうか。簡単であるが、時間を要する仕事を片付けるのは朝早くが良いのでしょうか。

これらは個人の問題だとおもいますね。要するに生活のリズムは太陽の動きと関係してくるのですね。夜は11時ごろまでに寝て、日の出前に起き出す。このことが出来ると昼間の活動もより活発になってくるのではないでしょうか。

心が澄み、頭の冴えている朝早くに大切なことをするのは決して悪いことではありませんよ。あなたも1年ほど日の出前に起きて何かを継続してみてください。きっと大きな成果を得ることが出来るでしょう。

師を持って間違いのない道を歩め 安岡正篤

安岡正篤は四条畷中学校の時代に東洋の思想を学び自分のものとされていたようですね。東京帝国大学でも色々な勉強をされたようですが、西洋の哲学には受け入れがたい部分があったように聞いています。

安岡正篤の師は四条畷中学校時代の読んだ中国の古典の中にいたのではないでしょうか。私も心の師、人格の師として安岡正篤を慕っておりますが、近くに住んでいる人にも師になってもらっております。

安岡正篤の師に対する考え方が書かれていましたので紹介します。

師を求める心 胃が食を求めるように

精神的権威を求める心、換言すれば師を求める心は、我らの胃が食を求めるごとく、我々の人格のために最も根本的で、大切な要求である。

食欲が絶えれば、肉体的に餓死せねばならない。それと同様に師を求める心が空しくなれば、我らの人格はもはや向上しないのである。

私の師はどちらかと言えば多いと思っています。仕事上での師、家庭生活での師、人間形成での師、安らぎを得る師などなど本当にたくさんの師を持っています。

しかし、私が師と思っている相手は何も知りません。私が困ったときや、悩んだときにはそれとなく相談に行っているのです。たとえば仕事のことで悩んだ場合には、少なくても2〜5人に同じ質問をさせていただいています。

そして、私の師は真剣になって答えてくれます。少なくても2つ以上の答えを聞いた上で自分に一番しっくりきた答えを採用しているのです。腹から納得できるものを選んでいるのですね。

師を持つということは本当にありがたいことですよ。ぜひあなたも師を沢山作ってください。

沈潜する人 安岡正篤

今回の安岡正篤氏の言葉には重みがありますね。私にはなかなか実行出来ないような言葉を言っていますね。

沈潜する人  逃げない、萎(な)えない

障害にぶつかった時、直ぐに回避したがる人間は、世の中へでるとすぐに売名行為とか利益追求とか、何か社会活動を派手にやりたがる。そんな人間はいったん障害にぶつかるとすぐに萎えてしまう。どこまでも沈潜していくそんな人でなければならない。

沈潜とは売名行為もせず、特別な利益の追求もしないことですかね。自分の実力をつけながら黙々と社会のため、人のために何かに取り組んで突き進んでいく。

たとえ障害があっても、正面から障害に取り組んで逃げることもせず、萎えることもせずに黙々と突き進んで行く。そんな人生の歩み方もあるのですね。どうしても、人より上に立ちたいとか、自慢をしたいとか思って実力もないのにしゃしゃり出ていく私です。

もう一度自分の人生を見直して、新しい出発の日にしたいと思うようになってきました。実力をつけて黙々と人のため、社会のために頑張れるように黙々と活動していきます。

短い人生の中で、短期間であったとしても少しでも良いから人から役に立ったよと言われる一瞬を持ちたいもですね。

後顧の憂いをなくす 安岡正篤

安岡正篤人間学を中心に記事を書いておりますが、今回の安岡正篤の名言は最高のものだと思っています。生きて行く中で私たちが何を一番先にやらなければならないかを、教えてくれていますね。

安岡正篤人間学名言です。

確かな鏡 後顧の憂いをなくす

「我々は前進しようと思ったら、いつでも後顧の憂いをなくさなければならない」と安岡正篤は解説しています。

未来を切り開くと言えば格好良いし、何となく夢や希望が見えてくるような気がしますが、過去をきちんと後始末しておかないと、あなたが思うような素晴らしい未来は訪れてこないのですね。

いかにしてここまできたかということに安心がなければ、前に向かって堅実な歩みを進めることはできないのです。今あなたが歩いている道は明日には過去の道となるのです。後顧の憂いをなくすためには今を一生懸命に生きることが一番大切になってくるのですね。

前途、未来を照らす一番確かな鏡は過去であり、鏡すなわち過去の歴史であるのですね。

日々、過去の後始末をしながら一歩でもいいから前進できるように自分自身を磨くことが未来の夢や希望を実現させるための近道かも知れません。

過去に何の憂いもないと言い切れる人は少ないと思いますが、憂いを後始末しておかなければ、同じようなことを繰り返して過去の憂いを増やすだけになってしまいます。

困難なときこそ眉の間を開け

安岡正篤氏に言葉を教えてもらいました。安岡正篤氏の本を読んでいると漢字の勉強にもなっている私です。

安岡正篤氏の人間学をお伝えしているツモリですが、うまく伝わっているか心配している今日この頃です。今回はあまり普段は使わないような言葉の紹介です。

眉宇(びう) 困難なときこそ眉の間を開く

眉の間、眉宇というのは非常に大事なもので、よく人の精神状態が現れるところだが、心配事や問題があればあるほど、この眉宇は開くようにしなければならない。

困ったときに天を仰向いて憂うるような人間でなければものの役にはたたないのである。

手塚治虫さんの漫画ではありませんが、眉と眉の間には目があるという話を聞いたことがあります。でも眉宇(びう)という言葉は始めて聞きました。どのようにして眉宇を開けば良いのかがまったく分かりません。物理的に眉と眉の間が開いて第3の目が出てくるわけではないですよね。

では精神的な意味での眉と眉を開くという意味になるのでしょう。それでも意味が、あるいは行動が分かりません。ただ心配事や困ったことがあった場合は天を仰いで憂うようになれと言っているので、何となく分かったような、分かっていないような気分ですね。

今の私にとっては困難なことが起きたときには、正面からぶつかっていくことにしています。安岡瀬正篤氏が私を見たらどのように思うのでしょうかね。

徳のある人は後ろ姿が美しい

安岡正篤氏の言葉・名言を集めて人間学について紹介しています。人間学とはいかにして自分自身を高めていくかを学ぶものです。

今回はまさに安岡正篤氏の人間学の核心をついた言葉だと思っています。

徳のある人 本物の人の「後ろ姿」

人間は表よりも背のほうが大切であると安岡正篤氏が語っています。また、徳や力というものはまず表に表れるが、それが背中、つまり後ろ姿に現れてくるようになってこそ本物といえるのだ。後光が射すといういうか、徳のある人は後ろ姿が凛凛しく、元気溢れているのであると解説もされています。

よく子供は親の背中を見て育つと言いますよね。安岡正篤氏の「本物の人の後ろ姿」という言葉を耳にして親の背中の意味が分かってきました。

一つだけ言えるのは、自分の背中は自分で直接みることができないようになっているのですよね。神様はどのような意味があって自分の背中を見ることが出来ないように作られたのでしょうね。

でも自分の後ろ姿が良くなるように、猫背で歩いたりしないように気をつけます。他人が背筋を真っ直ぐにして歩いているのを見ると気持ちがいいですよね。私も他の人に良い気持ちを与えることが出来ればと思っているのです。

陽明学者と言われた安岡正篤

陽明学者とも呼ばれた安岡正篤氏の言葉には、和魂洋才のすすめが随所に書かれています。和魂を特に重視する安岡正篤氏の言葉を拾ってみました。

自己修養の秘訣 長所にする

とありました。陽明学者と呼ばれた安岡正篤氏ですが、本当に好きだったのは老荘思想ではなかったとも言われていますよね。

老荘思想では長所もなければ短所もないという考え方になってくるのですよね。単に他の人と違っている部分があるだけのことなのです。

人間には背の高い人もいれば、低い人もいますよね。どちらが長所であって、のこりの一方が短所であるとは言えないのですね。

人間の長所、短所というのは別々のものではないのですよね。長所が短所であり、短所が長所であることが多いのです。

背が高くて長所かと思えば、洋服を買うときには大きなものを買う必要があり、一定の身長以上まで背が高くなると既製品では間に合わず別注しなければいけなくなります。でも背が高いことが決して短所でもありません。

だから、いかにして短所長所として生かすのか、長所をいかにして短所にしないかということが、修養の一つの秘訣になってくるのです。

人格形成が出来ると

安岡正篤氏は人格形成を特に言われていたような気がしています。

社会的地位が上がること、財産を蓄積することにはあまり関心を持たれてはいなかったようですね。では安岡正篤氏の人格が形成されると、どのようになるのかと思っていたのかを明らかにする文がありましたので紹介します。

人間は人格が形成されると
どこかしっくりと落ち着いて
和らぐ

なごやかに
声もどことなく含み
潤い
響きがあって
その人全体がリズミカルになるものだ


私は人格が出来ていませんので、落ち着きがなく、声も決して潤いや響きがないでしょうね。もちろん全体がリズミカルでもありません。どちらかといえば、右往左往しているのが実情です。

なかなか人格は形成されないでしょから、せめて声に含み、潤い、響きのあるようにしたいと思ってしまいました。そこで、声に響きを出すには、思いつきで言葉を発するのではなく、よく吟味してから言葉を発するようにしようと決めました。

言葉を発するのは、ほとんどの場合に聞いてくれる相手がいるはずですよね。だから、聞いてくれる相手が話をしている間に、次はどのような返事をすれば良いか考えてながら、相手の話を遮ることがないように、潤いを持って声を発する努力をしてみます。

最終的には誠意愛情が溢れる言葉でなければならないでしょうね。

現代の人間学

現代の人間学
人間学は特に19世紀、「歴史の世紀」と呼ばれる時代には、歴史学のみならず、化学、生理学から地理学、民族学、民俗学、心理学などが発展し、人間についてのさまざまな情報が溢れ返るようになった。この講演は、かなりの反響をドイツ語圏の哲学、文化的な世界にもたらし、ハイデッガーヤスパースもそれぞれ、『世界像の時代』、『存在と時間』(哲学的人間学への言及は少なくない)や『現代の精神的状況』で賛否の態度を示した。当時の動向は、国内では三木清の『構想力の論理』の中にも紹介がある。

ミヒャエル・ラントマンエーリッヒ・ロータッカー、わけてもワルター・シュルツらが注目した仕事である。たとえば、森昭の『教育人間学』を筆頭に、下程勇吉などにこの方面の著作がある。国内で、この思想の流れの中で人間学を模索したのは、京都学派の高山岩男の『哲学的人間学』が代表的である。

エルンスト・カッシーラーの『象徴形式の哲学』、『人間』、ハンナ・アーレントの『精神の生活』もこの系列の仕事と看做される。1928年、ダルムシュタットの郊外にあるカイゼルリンク伯爵(自身も『哲学者の旅日記』という著書のある啓蒙的な哲学者、同時代人のルドルフ・オイケンは、今でこそ忘れられているが、通俗哲学論でノーベル文学賞を与えられた、そういう時代だった)の「英知の学校」で、哲学者のマックス・シェーラーが招聘講演として「宇宙における人間の位置」と題する講演を行い、人間学研究の提言をしたのが、この問題意識の嚆矢だったといわれている。彼の後、この思想的な手がかりは、教育学の世界に引き継がれ、1970年代、ドイツでオットー・フリードリッヒ・ボルノウらを中心にディルタイ系の教育学研究者の間で、教育人間学、人間学的教育学を巡る議論が活発化し、人間学への関心が国内でも再炎した。

カール・マルクスチャールズ・ダーウィンジークムント・フロイトの名前もその中にある。それによって、従来以上に人間がよく分かるようになったかというと、むしろその逆で、より分からなくなったというのが正直な返答だろう。シェーラーの提言の直後にでたヘルムート・プレスナーの『有機物の諸段階と人間 哲学的人間学入門』は、既にこの言葉を副題に取り込んでおり、その後はアーノルト・ゲーレンの『哲学的人間学』、『人間学の探究』、『人間 その本性および世界における位置』という三部作がこの方面の最大の業績のひとつになる。

人間学をもう一度考える

人間学をもう一度考える
人間学では、啓蒙思想家でもあるヴォルフの影響を受けていたイマヌエル・カントは、この「人間学」の立場を明確にした代表的な哲学者でもあり、自身の哲学においてこの「人間学」という分野を根本のひとつにしていた。その後この「人間とは何か」という問題はドイツ観念論を通じて、ヘーゲルの弁証法に受け継がれ、人間精神における自由への本性の理論付けなどに多大な範囲に及んだ。さらに、この人間学の流れはヘーゲル左派からカール・マルクスへという唯物論の見地へと受け継がれていく。それまで意識や精神といった観念論的な概念を通じての人間存在を、より還元的なものとし、人間中心主義的な世界観の構築を説いていく。

人間学で自身が自己に責任を持って考え行動するという考えが広まっていくとき、それは一人の独立した存在としての人間であるという考えを普及させていくことにほかならず、そこには大元である「(一人の独立した存在としての)人間とは何か?」(人間学)という問いかけが潜んでいた。このような背景から、次第に人間学が姿を現しはじめた。)世紀末思想を経て、20世紀に入って、実存思想が興隆し、それまで構想されていた理想的な人間社会が無残に打ち砕かれ、社会と国家、科学技術の発展で我々は「人間不在」というあらたな問題を直視せざらる得ない状況となり、改めて人間として生きる意義について問われることとなったが、現代ではこの人間学の問題は既に哲学という学問だけでは解決できない事態になっている。

人間はサルから超人への綱渡り(発展途上)であると説くフリードリヒ・ニーチェも見逃せない。さらに、チャールズ・ダーウィンの進化論が当時の学界を震撼させ、人間の動的で惨い部分が次第に見られていくようになった。人間学が「学」として現われたのは、近世哲学の出発点であるルネ・デカルトによる自我概念の発見以降の、18世紀の啓蒙思想まで待たねばならなかった。

人間学が哲学史における「人間」という問題は極めて重要な位置を占めている。(このニーチェによって、人間学的な立場ながらも、脱人間主義の立場が提唱されたともいえる。人間とは何かという問いかけは、古代から問われつづけてきた問題であるが、長い間それは少ながらず、哲学や宗教に限らず、あらゆる学問分野において神を通じてでのみ考えられることであった。


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