師を持って間違いのない道を歩め 安岡正篤

安岡正篤は四条畷中学校の時代に東洋の思想を学び自分のものとされていたようですね。東京帝国大学でも色々な勉強をされたようですが、西洋の哲学には受け入れがたい部分があったように聞いています。

安岡正篤の師は四条畷中学校時代の読んだ中国の古典の中にいたのではないでしょうか。私も心の師、人格の師として安岡正篤を慕っておりますが、近くに住んでいる人にも師になってもらっております。

安岡正篤の師に対する考え方が書かれていましたので紹介します。

師を求める心 胃が食を求めるように

精神的権威を求める心、換言すれば師を求める心は、我らの胃が食を求めるごとく、我々の人格のために最も根本的で、大切な要求である。

食欲が絶えれば、肉体的に餓死せねばならない。それと同様に師を求める心が空しくなれば、我らの人格はもはや向上しないのである。

私の師はどちらかと言えば多いと思っています。仕事上での師、家庭生活での師、人間形成での師、安らぎを得る師などなど本当にたくさんの師を持っています。

しかし、私が師と思っている相手は何も知りません。私が困ったときや、悩んだときにはそれとなく相談に行っているのです。たとえば仕事のことで悩んだ場合には、少なくても2〜5人に同じ質問をさせていただいています。

そして、私の師は真剣になって答えてくれます。少なくても2つ以上の答えを聞いた上で自分に一番しっくりきた答えを採用しているのです。腹から納得できるものを選んでいるのですね。

師を持つということは本当にありがたいことですよ。ぜひあなたも師を沢山作ってください。

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