安岡正篤氏の六中観

安岡正篤氏がよく書かれていた言葉に六中観という言葉があります。この六中観は人がよりどころとすべき内容が含まれているようで、何回読ませていただいても新しい発見のある言葉です。

安岡正篤氏が考え思った六中観の内容と、私が考え思った六中観の内容とは大きく違うかも知れませんが、私なりの解釈をしてみました。

死中、活有り。
苦中、楽有り。
忙中、閑有り。 
壺中、天有り。
意中、人有り。
腹中、書有り。
 

以上が六中観です。「死」「苦」「忙」「壷」「意」「腹」の中にあるのも、あるいは持っていなければならにものを、安岡正篤氏が人生の達人になる生き方をするために、多くの著書や講演で書かれたり話されたものだと解釈しております。

死中、活有り。
この言葉が有名なので説明は必要ないでしょうが、結局は身を捨ててこそ浮かぶ瀬があるというものでしょうね。

苦中、楽有り。
この言葉も良く使われる言葉ですから、お分かりのことと思います。苦しいときにこそ楽しさを見つけ出すことの大切さですね。楽(らく)ではありませんよ。

忙中、閑有り。 
この言葉もよく耳にされた思います。忙しいとは心が滅ぶと書きます。忙しいときにこそ、冷静になって心に余裕がなければならにということですね。心に余裕がないと、周りの人々に迷惑をかけることが多々ありますからね。

壺中、天有り。
この言葉はあまり使われることがないと思います。どんな境遇にあっても、必ず自分の世界を作らなければならないということです。壷の中にいても天だけはいつでも見ることが出来るという意味で、周りが見えなくても、天を仰いでいればおのずから道が開けるのです。

意中、人有り。
これもあまり多くは使われないと思います。心の中に尊敬するべき人を持てという意味ですね。尊敬する人が生きている人であれ、歴史上の人物であれ、目標にもなり尊敬の出来る人を持たなければならない。

腹中、書有り。
書物を読んで頭に入れるのではなく、行動できる学問を身に付ける必要があるということですね。学問は単に知識や教養を身に付けるだけでなく、心が磨かれるものとならなければならないのでしょうね。 

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