寸陰を惜しむ

安岡正篤氏ほどの人物はおそらく100年に1度ではないかと言われていますよね。現在も安岡正篤氏に匹敵するような人物はいるのでしょうかね。よく、安岡正篤氏は中村天風氏と同じようなレベルで扱われている場合が多いですが、この2人には弟子と呼ばれるような人はいなかったのでしょうかね。

安岡正篤氏は弟子を持たず、死後は安岡正篤氏に関する会などは全て解散されたとの噂を聞いております。ただし、埼玉県嵐山町記念館が残っています。一度は訪れてみたいものです。

今回は、安岡正篤氏の格言の解説です。

寸陰を惜しむ

です。これは陶淵明の雑詩其五に書かれていたもので詩全体の意味は

若いときは夢や理想を持って日々をすごしていたが、歳月を重ねるにつれて夢や理想が失われていった。時には昔の夢や理想を思い出すこともあるが、体力も気力も衰えて老いていくだけだ。

残された時間はあと少しなのに、まだ迷ったり悩んだりしている。昔の人は寸陰を惜しんで夢や理想を実現させたのに、自分はどうなってしまったのであろうか。

と嘆いているものです。この「寸陰を惜しむ」について安岡正篤氏は

「ちょっとした時間を活用してやっていると、その寸陰が長い時間と同じか、あるいはそれ以上の値打ちが生じてくるものだ。」

と解説しています。どちらかといえば寸陰を惜しんでつまらないことを考えたり、ちょっと疲れると休憩したくなる自分を反省してしまいます。

自分の夢や理想に向かって、今日からは寸陰を惜しんで行動します。

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