現代の人間学

現代の人間学
人間学は特に19世紀、「歴史の世紀」と呼ばれる時代には、歴史学のみならず、化学、生理学から地理学、民族学、民俗学、心理学などが発展し、人間についてのさまざまな情報が溢れ返るようになった。この講演は、かなりの反響をドイツ語圏の哲学、文化的な世界にもたらし、ハイデッガーヤスパースもそれぞれ、『世界像の時代』、『存在と時間』(哲学的人間学への言及は少なくない)や『現代の精神的状況』で賛否の態度を示した。当時の動向は、国内では三木清の『構想力の論理』の中にも紹介がある。

ミヒャエル・ラントマンエーリッヒ・ロータッカー、わけてもワルター・シュルツらが注目した仕事である。たとえば、森昭の『教育人間学』を筆頭に、下程勇吉などにこの方面の著作がある。国内で、この思想の流れの中で人間学を模索したのは、京都学派の高山岩男の『哲学的人間学』が代表的である。

エルンスト・カッシーラーの『象徴形式の哲学』、『人間』、ハンナ・アーレントの『精神の生活』もこの系列の仕事と看做される。1928年、ダルムシュタットの郊外にあるカイゼルリンク伯爵(自身も『哲学者の旅日記』という著書のある啓蒙的な哲学者、同時代人のルドルフ・オイケンは、今でこそ忘れられているが、通俗哲学論でノーベル文学賞を与えられた、そういう時代だった)の「英知の学校」で、哲学者のマックス・シェーラーが招聘講演として「宇宙における人間の位置」と題する講演を行い、人間学研究の提言をしたのが、この問題意識の嚆矢だったといわれている。彼の後、この思想的な手がかりは、教育学の世界に引き継がれ、1970年代、ドイツでオットー・フリードリッヒ・ボルノウらを中心にディルタイ系の教育学研究者の間で、教育人間学、人間学的教育学を巡る議論が活発化し、人間学への関心が国内でも再炎した。

カール・マルクスチャールズ・ダーウィンジークムント・フロイトの名前もその中にある。それによって、従来以上に人間がよく分かるようになったかというと、むしろその逆で、より分からなくなったというのが正直な返答だろう。シェーラーの提言の直後にでたヘルムート・プレスナーの『有機物の諸段階と人間 哲学的人間学入門』は、既にこの言葉を副題に取り込んでおり、その後はアーノルト・ゲーレンの『哲学的人間学』、『人間学の探究』、『人間 その本性および世界における位置』という三部作がこの方面の最大の業績のひとつになる。


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