人間学をもう一度考える

人間学をもう一度考える
人間学では、啓蒙思想家でもあるヴォルフの影響を受けていたイマヌエル・カントは、この「人間学」の立場を明確にした代表的な哲学者でもあり、自身の哲学においてこの「人間学」という分野を根本のひとつにしていた。その後この「人間とは何か」という問題はドイツ観念論を通じて、ヘーゲルの弁証法に受け継がれ、人間精神における自由への本性の理論付けなどに多大な範囲に及んだ。さらに、この人間学の流れはヘーゲル左派からカール・マルクスへという唯物論の見地へと受け継がれていく。それまで意識や精神といった観念論的な概念を通じての人間存在を、より還元的なものとし、人間中心主義的な世界観の構築を説いていく。

人間学で自身が自己に責任を持って考え行動するという考えが広まっていくとき、それは一人の独立した存在としての人間であるという考えを普及させていくことにほかならず、そこには大元である「(一人の独立した存在としての)人間とは何か?」(人間学)という問いかけが潜んでいた。このような背景から、次第に人間学が姿を現しはじめた。)世紀末思想を経て、20世紀に入って、実存思想が興隆し、それまで構想されていた理想的な人間社会が無残に打ち砕かれ、社会と国家、科学技術の発展で我々は「人間不在」というあらたな問題を直視せざらる得ない状況となり、改めて人間として生きる意義について問われることとなったが、現代ではこの人間学の問題は既に哲学という学問だけでは解決できない事態になっている。

人間はサルから超人への綱渡り(発展途上)であると説くフリードリヒ・ニーチェも見逃せない。さらに、チャールズ・ダーウィンの進化論が当時の学界を震撼させ、人間の動的で惨い部分が次第に見られていくようになった。人間学が「学」として現われたのは、近世哲学の出発点であるルネ・デカルトによる自我概念の発見以降の、18世紀の啓蒙思想まで待たねばならなかった。

人間学が哲学史における「人間」という問題は極めて重要な位置を占めている。(このニーチェによって、人間学的な立場ながらも、脱人間主義の立場が提唱されたともいえる。人間とは何かという問いかけは、古代から問われつづけてきた問題であるが、長い間それは少ながらず、哲学や宗教に限らず、あらゆる学問分野において神を通じてでのみ考えられることであった。


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